座っている鹿野正顕さん

犬との暮らしは、私たちの日常にかけがえのない喜びと深い学びをもたらしてくれる一方、私たちの無知や誤解によって、その関係性は本来あるべき姿から遠ざかってしまうこともある。
私たちは犬を理解したつもりのまま、都合のいい関係を築こうとしてはいないだろうか。
今回お話を伺ったのは、麻布大学で人と犬の関係学について研究し、日本初の博士号を取得した鹿野正顕さん
現在は株式会社Animal Life Solutionsの代表取締役を務めながら、犬の飼い主教育を目的としたしつけ教室「スタディ・ドッグ・スクール」の代表兼ドッグトレーナーとしても活躍している。
幼少期に体験した犬との別れを原点に、人と犬が共に幸せに生きられる社会の実現を目指してきた鹿野さん。
犬に対する人の誤解、そして、現代社会における「人と犬の共生」の課題とは。

鹿野正顕さん

様々な研究結果から、今まで考えられてきた犬の習性や人とのかかわり方には、大きな「誤解」があることがわかってきました。愛犬との素晴らしい関係を結ぶためにも、新たな情報に目をむけ、愛犬とのかかわり方を見直してみてください。

この記事を書いた人

動物が身近にいた幼少期

鹿野さんの両親は東北の専業農家出身で、幼い頃の鹿野さんも両親の実家に訪れた際には動物たちの世話を手伝っていた。

「豚の出産は衝撃的でしたね。100kgぐらいある母豚は分娩時にとても興奮してしまうので、産んだらすぐに子豚を取り上げてあげないといけない。さらに、豚は産まれた時から犬歯が生えています。その犬歯で母豚の乳房を噛み切らないように、当時は産まれてすぐに犬歯をペンチで切断していたんです。」

※現在では動物福祉の観点から行われていない。

物心ついた時から、豚や牛、馬といった家畜が身近にいた鹿野さん。
自宅にはいつも、拾ってきた犬がいた。

「“犬を拾ってくる”って、今の子たちには考えられないかもしれませんが、当時は公園などに犬が捨てられていることは珍しくありませんでした」

小学生の鹿野さんと子犬
小学生の時、飼うことになった子犬と初めて会った時の一枚。この子犬も捨てられていたという。

とはいえ、今のように家の中で家族として飼われるのではなく、外で飼われる“外犬”が一般的な時代。
散歩に行く時や餌をあげる時だけ一緒にいるという距離感で犬と接していた鹿野さんにとって、飼っているという愛着はありつつも、世話をやらされている煩わしさもあったという。

「犬を病院に連れて行くなんてしなかったので、最期も悲惨です。全身痩せ細ってしまっているし、フンの中には生きた状態のうじ虫がいっぱいいる。シャンプーも年に1、2回しかしないから、体を洗った後の汚れだらけの真っ黒い水の中にダニやノミも混ざって流れていく」

それは命の扱い方を問いかけられるような光景だった。

「そういう死に際を何匹も見ていると、犬のことを煩わしいと思っていた自分の行いに対して『ちゃんと世話をしてあげれば良かった』
『こんな飼い方をしているからこんな死に方をするんだ』
という後悔と反省の念が残るようになっていきました」

進むべき道を示してくれた一匹の犬

そして小学校5年生の時のある出来事が、幼き鹿野さんの心を大きく揺さぶる。
飼っていた犬が子どもを産んだが、「育てられないから」と父親がその子犬を山に捨ててきてしまったのだ。
犬の飼い方に常々疑問を持っていた鹿野さんが、ご両親に改善を提案しても受け入れてもらえなかった中で起きたこの出来事。
「こんなのありえない」「こういう人たちを変えていかなきゃいけない」と、鹿野少年の前に進むべき道が現れた。
当時は「動物と関わる仕事」といえば、「獣医」だった時代。
鹿野さんも獣医を志すようになる。
幼き日に抱いた「獣医になりたい」というこの夢は、大学受験の時まで変わらずに胸の中にずっとあったという。

原体験を学びに変え、学びが現場を変える

鹿野さんが大学受験をする頃、世の中にはペットブームが到来。
大人気漫画『動物のお医者さん』の存在も相まって、獣医系の大学の人気は急上昇し、倍率が50倍にもなる大学もあった。
結果、獣医系の大学や学部には受からなかったが、滑り止めで受験していた麻布大学の動物応用科学科に合格した。
「最初は全く行く気がなかったんです(笑)。
でも受かった後に、パンフレットを眺めていたら『人と動物の関係学』『人と動物の共生』という文字が目に入って。
『これでいいじゃん!』と入学を決めました」

研究テーマは、「人と犬の共生」。
しかしそのアプローチは、単なる犬の観察や訓練方法の確立には留まらなかった。
フィールドワークを中心に研究を行う日々だったという。
鹿野さんの研究チームは、大阪府にある観光牧場に拠点を置き、111犬種・300頭の犬たちを対象にさまざまな研究を行った。
当時、牧場の正規スタッフは4名程度。
大学生が犬の世話を手伝う代わりに、研究をさせてもらうという形だ。

学生時代の鹿野さんとシェパード研究室にて
研究室で飼育していたシェパード。後に、鹿野さんが引き取った。

人と動物の関わりについて学ぶうちに気が付いたのは、父親が子犬を捨てたあの日の背景だった。

「戦後の日本は、国を豊かにすることや、経済を発展させて復興することを最優先としていました。
それに伴って畜産も工業化し、動物の福祉よりもいかに生産効率を上げるかが中心の時代だったのです。
そんな時代を生きてきた両親が、『産まれてしまって育てられない動物(犬)を捨てて殺す』のは当然の感覚ですよね」

ひどい行為だと、ひどい人間だと憤っていたが、両親が生きてきた戦後の貧困の状況を想像できずに誤解していたのは鹿野さんだったのだ。
動物と関わる人たちの背景を知り、さまざまな人と共生する犬たちと触れ合った鹿野さんは「研究室に閉じこもるのではなく、現場にこそ本当に変えたいことがある」という思いを強くしていく。

「あの有名なセリフじゃないですけど、人と動物の問題は研究室で起きているのではなく、現場で起きているのです。
研究ももちろん大切ですが、動物系の研究は遅れている側面があって、長年現場でいわれてきたことを再認識するような研究が多い。
現場での声と、研究で分かっている結果の大きな乖離を知って、そのジレンマに悩まされていました。
それに、幼少期の原体験から『犬と関わる人の意識を変えたい』と思って生きてきているわけだから、そういう人たちの近くで何かしたいと思うようになりました」

そして株式会社Animal Life Solutionsを立ち上げ、人と犬のより良い共生生活のために、犬の飼い主教育を目的としたしつけ教室「スタディ・ドッグ・スクール」をスタートさせる。

スタディ・ドッグ・スクールの看板
神奈川県相模原市に位置する「スタディ・ドッグ・スクール」。

「人と犬の共生」における課題

鹿野さんは、現代社会における人と犬との共生において「人側の無知さ」や「生き物への理解」に大きな課題があると指摘する。
いわゆる「脳化社会」になっている現代は、動物や子どものような感覚を優先する生き物に対しての想像力が欠如しているのだ。

「例えば犬のおもちゃ遊びについて、十分におもちゃで遊ばせてから終わらせるように伝えると、『遊ばせすぎるとおもちゃに飽きてしまいませんか』という疑問を投げかけられたことがあります。
しかし犬は、“人と遊ぶ”本能的欲求を満たしたい動物。
そういった生き物全般への本質的な理解が欠けていると感じます」

ワン!ポイント 脳化社会

解剖学者の養老孟司[1]が提唱する現代社会の概念。
「ああすればこうなる」という情報処理的な思考に依存している状態。
感覚的な思考や、予測不能、コントロール不能なものは排除する傾向にある。

[1]NTT DATA INSIGHT「養老孟司(解剖学者)」

人間用の椅子に座って講義を受ける大型犬
「マテ」のトレーニングを応用し、犬に対して講義をしている様子を再現。

生き物への理解が乏しいと、“犬にとっては幸せでない行い”を“正しい行い”だと誤解してしまう恐れがあると鹿野さんは語る。
近年、動物福祉という言葉がよく聞かれるようになったが、動物福祉は動物を利用することを否定していない。
ただし「その命が生きている間は、最大限に動物の幸せを追求しよう」という国際的に認められている概念で、動物の命を終わらせる時にも痛みを与えない方法にするべきだと提唱している。
また、動物を利用すること自体を良しとしていない「動物の権利思想」という考え方もある。
一方、日本には「動物愛護」という特有の考え方もある。
「動物福祉」や「動物の権利思想」といった考え方は動物が主体で考えられているが、動物愛護は人間が主体だ。
つまり、「動物をかわいがってあげよう」という考え方。

鹿野さんはこの動物愛護について
「かわいがるのはいいけれど、そのかわいがり方が本当に動物にとって良い方法なのかというと別問題です。
実は犬目線で考えると幸せではないことが多くて、それが一番の問題だと思います」
と警鐘を鳴らす。

例えば、「わがままを許して溺愛して、かわいがっている」。
例えば、「飼い犬が言うことを聞かないのは、飼い主をなめていて下に見ているから」。
例えば、「しつけには上下関係が重要なので、罰を与えて脅して、主従関係を明確にする」。

どれも、多くの飼い主が抱いている犬への誤解だ。
鹿野さんによれば「犬は人間のように上下関係で物事を捉えていない」
犬が望ましくない行動をした時に罰を与えて上下関係を認識して行動を改めるという事例は、ただの「恐怖心による萎縮」なのだ。

共に生きるために死を知る

では、「人側の無知さ」や「生き物への理解」といった課題を克服するためにはどうしたら良いのだろうか。
鹿野さんの答えは「死を知る経験をする」ことだ。

「昔は、登下校中に捨てられた犬を見かけるなど、動物と触れ合う機会がもっと身近にありましたが、今では、動物との触れ合いの機会も減少してきています。
犬を飼うハードルが上がり、高額な犬種も増え、ますます動物との距離が遠くなっているのです。
購入の際に厳しい審査を通すなどがありますが、それでは人と動物の距離が遠くなるだけで真の共生にはつながりません。
たまに触れ合うぐらいで動物を知ることなんてできないのですから。
死を経験して『やばい』『死んでしまった』という感情を抱く経験をしなければ意味がありません。
特に子どもにとっては、死を経験した時の恐怖心は忘れないものですよ」

もちろん、不適切な飼育によって死んでしまうのは良くないことだが、最後まで愛情をかけて一生懸命世話を続けるからこそ、その動物への理解が深まり、命の大切さを知ることができるのだろう。

人と犬のあいだに立つということ

鹿野さんは正しい情報を正しく伝える重要性や、正しい情報の発信に強い使命感を抱く。
残念ながら、専門家といわれる人々の中でさえ、動物の習性や認知行動を理解しないまま情報発信をしているケースが見受けられる。
YouTubeなどのメディアで目立つ方法を優先し、誤った情報を広めてしまうトレーナーもいる。
このような状況では、一般の人々が正しい情報にアクセスするのは困難だ。
市場規模が大きくなるにつれ、さまざまな人々が「人と犬の関係」に参入してきている現在、「業界全体が淘汰され、本当に質の高い情報やサービスを提供する人々が残っていく時代が来る」と鹿野さんは信じている。

「動物と共に暮らす人々にとって、彼らと過ごす時間は楽しく、幸せな時でなくてはなりません。それは動物たちにとっても同じこと」

これは、株式会社Animal Life Solutionsの社長挨拶ページにある鹿野さんの言葉だ。
そして今回の取材中、こうも語っていた。

犬にとって人は、いなくてはいけない存在人にとって犬は、身近な自然
生き物への理解や感覚を、脳化社会から取り戻すための唯一の架け橋ともいえるのではないでしょうか」

鹿野さんが目指すのは、単に犬を飼う人を増やすことでも、飼育のハードルを下げることでもない。
人と犬がお互いに幸せに共生できる社会だ。

鹿野正顕 (株式会社 Animal Life Solutions代表取締役社長)

経歴
・1977年5月18日生まれ
・2006年3月 麻布大学大学院 博士後期課程 獣医学研究科 卒業
・2006年(株)Animal Life Solutions 設立 代表取締役社長

自己紹介
人と犬の関係、特に犬の問題行動やトレーニングの研究を行い、人と犬の関係学の分野で日本初の博士号を取得。多くの人に正しい犬の情報が伝わるように様々な事業に従事している。

犬と私
物心ついたころから犬をはじめ、多くの動物と関わってきたことから、人と動物が互いに幸せに暮らせる社会をづくりに寄与したいと考えるようになり、現在でもその夢を果たすべく様々な活動を行っている。

著書
・株式会社ワニブックス「犬にウケる最新知識」 
・株式会社ワニブックス「犬にウケる飼い方」 
・小学館「なぜ犬は全力で私を愛してくれるのか」                                                                             

HP/SNS
スタディ・ドッグ・スクール
ハッピーシェーキー
らくらくハーネス

資格
CPDT-KA(Certified Professional Dog Trainer – Knowledge Assessed)

この記事を書いた人

本間ユミノ

新潟県出身。2児の母。食べることと寝ること、読書が好き。動かないことも動くことも好き。モットーは「夜を乗りこなす」
第49期 宣伝会議 編集・ライター講座修了。
小学生の頃に読んだ、漫画『動物のお医者さん』に出てくるチョビ(主人公が飼っているシベリアン・ハスキー)の可愛さに虜になる。以来、好きな犬種はシベリアン・ハスキー。

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