
「スクールドッグ」と呼ばれる活動を知っているだろうか。
犬が子どもに何かを教えるわけではない。
ただその場所にいて、子どもたちに寄り添っている。
その時間を通して、子どもは少しずつ自分の気持ちに向き合えるようになっていく。
言葉を使わないからこそ、伝わるものがある。
そして、子どもたちは命と共に生きることの意味を、体と心で学んでいく。
本記事では、スクールドッグとの日々を通して子どもたちがどのように変わっていくのか、そしてこの活動が私たちに投げかける“教育の本質”について深く掘り下げていく。
この記事を書いた人
動物介在教育とは?
犬と子どもが共に過ごす教育のかたち
健康や教育、社会福祉事業などの人的サービスに、動物を取り入れる活動は「動物介在介入」と呼ばれている。
この「動物介在介入」は大きく「動物介在活動」「動物介在療法」「動物介在教育」の3つに分けられる。
動物と触れ合うことで、情緒的な安定やQOLの向上等を目的としているのが「動物介在活動」[1]。
一方「動物介在療法」[2]は、人間の医療現場において、治療を目的に動物を介在させる活動だ。
精神的、身体的な機能の向上など、治療を受ける人に合った目的を設定し、治療後は治療効果の評価も行われる。
そして、教育現場に動物を介在させて情操教育を行ったり、命の大切さを学んだりする活動が「動物介在教育」。

その中でも、学校などに犬を連れて行き、子どもたちが安心して過ごせる居場所をつくる「スクールドッグ」[3]という取り組みを行っている青木潤一さん(41)。
青木さんは2021年に「Social Animal Bond」を、2022年には「日本スクールドッグ協会」を立ち上げ、スクールドッグ活動の普及に尽力している。
[1][2]公益社団法人 日本動物病院協会「アニマルセラピー 人と動物のふれあい活動(CAPP)」
[3]日本において「スクールドッグ」の名称は、青木さんの立ち上げた「日本スクールドッグ協会」の商標
スクールドッグに向いているのは…。
安心を届ける大型犬の存在
青木さんの下で、スクールドッグとして活躍しているのは、盲導犬を目指していたがデビューが叶わなかった「キャリアチェンジ犬」。
現在は、アスラン、スー、フルート、レイという名前の4匹の犬たちが青木さんと共に活動しており、犬種はゴールデンレトリバーとラブラドルレトリバー。
どちらも大型犬に分類される犬種である。

大型犬は「怖い」「危ない」という先入観を持たれることが多い。
視覚的な大きさも影響しているだろうが、犬と触れ合う機会の少なさも「怖さ」につながる要因の一つだと青木さんは考えている。
「犬を連れて学校に行くと、子どもだけでなく先生も犬と交流します。
英語の教員として学校に来ているネイティブの先生なんかは、犬の扱いにすごく慣れている。
『犬を飼っているんですか?』と尋ねると、『飼ってないけど、海外では犬と触れ合う機会が普通にあるから。大型犬も一般的だよ。』と答えるんです」
青木さんによると、小型犬は警戒心が強い子も多く、スクールドッグとして活動する際には工夫が必要になることもあるという。
一方、比較的落ち着いた性格の傾向がある大型犬は、スクールドッグとして活動しやすい面もあるそうだ。
「大型犬の方が寛容で穏やかな子が多く、子どもたちに安心感を与えて心を開く存在になりやすいんです。そしてその安心感が子どもたちの“居場所”につながる」
元々、中学校の教員として現場で子どもたちを見ていた青木さん。
不登校になってしまった生徒との関わりをきっかけに、スクールドッグの活動を始めた。
青木さんのスクールドッグ活動において、忘れられないエピソードがある。
中学2年生のある生徒との出会いだ。
話せない犬が、話を聞いてくれる。
「とても活発で、成績も良く、部活動でも副キャプテンを務めていた子でした。みんなが抱くであろう印象としては“元気な子”。その子がある日ふらっと1人でスーに会いに来たんです」
スーとは、当時青木さんが、勤務校に連れていっていたスクールドッグのこと。

その後、その生徒は教室に入れなくなり、スーのいる部屋に通うようになった。
教員としてではなく“犬の飼い主”として、スーを介してその子と接しているうちに、少しずつ悩みを打ち明けてくれるようになる。
「母親との関係があまり良くなくて、家にいたくないらしいんです。『家にいてもしんどいし、かといって学校に来ても自分を偽っているようで苦しい』と。でもスーと過ごしているうちに元気になってきて、私とも少しずつ信頼関係が築けてきて。このまま回復していくかな、なんて思っていた時に事件が起きてしまいました」
市販のカフェイン剤を大量に服用する「オーバードーズ」。
しかも家ではなく、学校での服用だった。
「2泊ほど入院したのですが、その入院中に、看護師さんがあるものを発見してくれました。それは自傷行為の跡です。服で隠れる、周りからは見えない部分にたくさんの自傷行為の跡がありました」
もちろん母親は何も知らなかったが、この事件がきっかけとなり、親子関係も徐々に回復。
この事件後、この生徒が語った言葉が青木さんの心に残り続けている。
『青木先生や親に相談すると、どうにか解決してくれるのではと淡い期待を抱いてしまうし、大人たちも解決しようといろいろ言ってくる。でも、ほとんど解決には向かわない。スーは喋らないけど、スーに話していると、余計なことを言わずにずっと側にいてくれる。ただ寄り添ってくれる存在が欲しかったんだ』
「犬はもちろん喋れないじゃないですか。そんな犬に話しかけていると自己対話ができるみたいです。自分で自分と向き合って心の中を整理する。居場所を提供するだけでなく、そういう役割もあるんだと気付かされた瞬間でした」
現在、この生徒は大学に通い、獣医学を専攻しているそうだ。
動物介在教育に特化した獣医師を目指しているという。
犬と過ごす生活で子どもの行動が変わる。
非言語コミュニケーションの力
スクールドッグとの関わりは、子どもたちの行動の動機づけにもなる。
例えば、掃除。

掃除を好み、自ら進んで校内の清掃活動に取り組む生徒は多くはないだろう。
しかしそこに、犬という非言語の動物と過ごす環境があると生徒たちの姿はガラッと変わるそうだ。
「犬が落ちている紙くずを口に入れてしまうかもしれない。だからこそ子どもたちは自然と床のゴミを拾うようになります。掃除について『やれと言われてからやる』のではなく、『なぜ必要なのか』が体感として伝わるようになる」と青木さんは語る。
犬の存在が、行動の本質を考えるきっかけになるのだ。
話せないからこそ、想像力を働かせて「相手のためにどうしたら良いのか」を考える。
青木さんは、この非言語的なやり取りが、人と人との関係性にも通じると確信している。
「人は分かり合えているようで、本当は分かり合えていないことが多いです。犬との対話は、相手がどう感じているのか、どうしたら伝えられるのかを想像するトレーニングになる。コミュニケーション能力も鍛えられると思います」
学校で犬を飼うという選択。
教育格差をなくす動物との共生体験
日本では、住環境や経済的負担からペットを飼うのは容易ではない。
「ペットを飼う」そして「ペットと共に子どもを育てる」という夢を抱いても、金銭的な面や家族構成などによって実現できない現実に直面する家庭も少なくないだろう。
犬をはじめとした動物との触れ合いを通じて、子どもの情緒を育てることを「教育」と言い換えるとするならば、家庭によって、動物による「教育体験格差」が広がっているとも言えるだろう。
青木さんはその「格差」を出来るだけ無くしたいと感じているそうだ。
「私の活動には、生徒たちの居場所をつくる以外に、もう一つテーマがあります。それは『みんなで犬を飼おうよ』。昔から、小学校にチャボがいたりモルモットがいたり金魚がいたりして、それをお世話する生き物係がいましたよね。「命を育てる」ことで得られる体験があるとみんな心の奥底では分かっているのだと思うんです。でも現在では、教員の負担軽減という観点からそういう取り組みが減ってきてしまっている。だから、家庭環境にしろ学校にしろ、動物の命に触れる機会がない子にその体験をさせてあげたい」

スクールドッグの活動は、飼いたいけど飼えない家庭の子には、動物と触れ合う機会を与えられる。
将来ペットのお迎えを検討している家庭の子には、楽しさや癒しだけではない命の重さを伝えられる。
そして全ての子の心には、豊かな心が育つ種が蒔かれる。
青木さんの願いは、この体験が特別な体験ではなく、どの子にも平等に与えられる社会になることだ。
犬と過ごす体験を、全ての子どもたちへ
犬は何も語らない。
ただし、偏見で私たちを判断することも、評価を下すことも、押し付けることもしない。
相対する人のありのままを受け入れ、犬もまた、ありのままの態度で接してくれる。
その存在が、子どもたちの心を優しく包み込む。
「大人たちは解決してくれない。でもスーはただ側にいてくれる」
あの日の生徒の言葉が、その全てを物語っていた。
現代の子どもたちは、多くの不安を抱えている。
家族関係、家庭環境、学校での人間関係、将来への焦り…。
「自分は誰にも理解されていないのではないか」という孤独。
そんな思いを抱えている子どもたちにとって、“ただ寄り添ってくれる存在”は、想像以上に大きいのだろう。
スクールドッグの活動は、犬と子どもが触れ合う、単なる癒しの時間ではない。
子どもたちが自分の感情と向き合い、安心して自分を取り戻す時間になる。
そして、「誰かのために行動する」「相手のことを考える」「他者を気遣う」という生きた学びを得る時間にもなる。
理解しようとする力、思いやる気持ち、そして、目の前の命と誠実に向き合う覚悟。
命の重みや責任、癒しと喜び。
それらは実際に触れ、世話をし、共に暮らす中でしか得られないものだ。
青木さんの掲げる「みんなで犬を飼おう」という言葉は、社会全体が目指すべき教育のあり方や、子どもにとって本当に大切な学びとは何かを問いかける、大きなメッセージかもしれない。

この記事の監修者

鮎川 多絵 (愛玩動物飼養管理士2級・ライター)
東京都出身。1986年10月生まれ。趣味は映画鑑賞・1人旅・散歩・動物スケッチ。
家族は保護犬1匹保護猫2匹(+空から見守る黒うさぎのピンキー)。
犬と私
子供の時からイヌ科動物が大好きでした。戸川幸夫氏の「牙王」で狼犬に憧れ、シートン動物記で「オオカミ王ロボ」に胸を打たれました。特に大きな犬のゆったりとした雄姿には目を奪われます。保護犬と保護猫の飼育経験から、動物関連の社会問題、災害時のペット同伴避難について意識を向けています。
この記事の監修者

吉田萌 (NPO法人ドッグトレーナー2級)
国際動物専門学校 しつけ・トレーニング学科卒。
噛み・吠え癖の酷い元保護犬のビーグルを里親に迎えた事をきっかけに『褒めてしつける』を念頭に活動。 自身の経験を活かし、しつけイベントにて飼い主に寄り添ったトレーニング方法を指導。 ナチュラルペットフード・栄養学の知識にも精通。保有資格はNPO法人ドッグトレーナー2級の他に、しつけアドバイザー2級、愛玩動物飼養管理士、ドッググルーマー2級など。
資格
NPO法人ドッグトレーナー2級、しつけアドバイザー2級、愛玩動物飼養管理士、ドッググルーマー2級







