笑顔の青木さんとラブラドルレトリバーと子どもたちの集合写真

「犬に絵本を読むってどういうこと?」
そう思う人も多いかもしれません。
しかし日本スクールドッグ協会の代表理事、青木潤一さんが主催する「読書犬イベント」では、その光景が当たり前のように広がっていました。
ラブラドルレトリバーの「スー」を前に、子どもたちは一冊の絵本を手に取り、たどたどしくも一生懸命に読み聞かせます。
間違えても、つっかえても、スーは最後まで静かに耳を傾け、その安心感のなかで、子どもたちは自然と自信を深めていくのです。
犬に読み聞かせをするという一見ユニークなイベントの裏には、子どもの成長につながるだけではない、さまざまな価値が息づいています。
本記事では、その現場を取材し、子どもたちとスーが紡ぐ特別な時間を追いました。

この記事を書いた人

犬に絵本を読み聞かせる、「読書犬イベント」

岡山県西粟倉村にある「あわくら会館」の一室に、普段とは少し違った光景が広がる。
広げられたテントと、その床にはマットが敷かれ、中には1匹のラブラドルレトリバー。
犬の周りには、子どもたちが集まっていた。

テントから出る子どもと犬
イベント開始前。広いテントの中に、1匹の犬。

これは「読書犬イベント」と呼ばれる取り組みだ。
スクールドッグと呼ばれる犬に対して、子どもたちが絵本を読み聞かせたり触れ合ったりするというイベントである。
主催者は日本スクールドッグ協会の代表理事であり、「Social Animal Bond」の代表も務めている青木潤一さん。

スクールドッグのTシャツを着用した青木さんの後ろ姿
動物介在教育の理解と普及を推し進める、青木さん。

この日青木さんと一緒にやってきたのは、ラブラドルレトリバーの「スー」。
盲導犬を目指していたがデビューが叶わず、現在はスクールドッグとして活躍している「キャリアチェンジ犬」だ。
「読書犬」の始まりは、アメリカの「Intermountain Therapy Animals」という団体が世界で初めて開始したプログラム。
R.E.A.D.(Reading Education Assistance Dogs)[1]プログラムと呼ばれているこのプログラムは、以降、世界中で広がりを見せている。
⼈間相⼿ではなく、⼦どもが⽝に本の読み聞かせを⾏うと、読書⼒とコミュニケーション能力、自己肯定感の向上が期待できる。
読み間違えても、上手に読めなくても他の人の目を気にしなくてもいい
それを指摘したり、評価したりしない犬が相手だからこそ、子どもたちは安心して絵本を読めるのだ
しかし、毎月行われている青木さん主催のこの「読書犬イベント」では、読書支援以上の効果を垣間見ることができた。

[1]R.E.A.D.Team Steps「R.E.A.D.Team Steps

犬と共につくられる、子どもの「居場所」

イベントの開始時刻は午後2時。
開始1時間ほど前に会場へ向かうと、そこには青木さんと会場設営を手伝う数人の子どもたちの姿が。

荷物を運ぶ青木さんと子どもを見ているゴールデンレトリバー
参加者から“運営を担う存在”へと変わっていく子どもたちと、その姿を見守るスーの瞳。
テントに空気を入れる子ども
みんな、イベントのために一生懸命だ。

子どもたちがありのままの姿で過ごすことのできる「居場所」をつくろうと、スクールドッグの活動をしている青木さん。

「このイベントにはいろんな参加者の方がいます。その中には、他人とのコミュニケーションが苦手だったり、学校にちょっと行きづらいなと思っていたりする子も。そういう子がこのイベントに参加して、スーと過ごしていくうちに、ここは自分らしくいれる『居場所』だと認識してくれる。そうすると、他の場所では人間関係に悩んでいた子が、この月1回のイベントを楽しみに来てくれて、次第に明るくなっていくんです。いつしかイベントの運営に協力してくれるようになって、会場設営や参加者対応など一生懸命に自信を持ってやってくれます

そうしてイベント運営を手伝ってくれた子どもたちには、ちょっとした“給料”もある。
「好きなジュースを買ってあげています。そりゃあ、働いたら対価として何かもらわないと。仕事っていうのは対価とやりがいがないといけない
参加者にはもちろん、いつも手伝っている子どもたちにとっては貴重な就労体験の場にもなっているのだ。

自販機の前に並ぶ青木さんと子どもたち
“給料”支給中。小さな就労体験は、自信ややりがいを感じる第一歩になっている。

見えてきた子どもたちの変化

イベントが始まり、参加者の様子を見ているとその変化が手に取るように分かる。
始めの頃は保護者の陰に隠れていた子も、時間を重ねるうちに、自発的にスーと遊ぶようになっている。
会場近くを通りかかり、「犬…、怖い」と言っていた女の子が、イベント終盤になるとスーを優しく撫でていた。
「ここは撫でても嫌がらない?」
「おやつ、あげてみようかな」
その女の子はスーとの触れ合いを通じて、生き物への愛情や思いやりの心を育んでいるようだった。
印象的だったのは、やはり絵本を読んでいる子どもとスーの様子だ。
イベント中は集中力が続かない様子を見せていた子が、スーに向かって静かに座り、じっくりと絵本を読み続ける。

本を読み聞かせている女の子と、聞いている犬と男の子
じっと耳を傾け、絵本を見つめるスー。

「いも…いもうと、の、りりと、い…いっしょ、に…」
たどたどしい読み方でも恥ずかしがらずに、大きな声で一生懸命読んでいる。
スーはもちろん、参加者の誰も、間違いを指摘することもなければ、読むスピードを急かすこともない
それまで遊んでいたスーも、動くのをやめて絵本をじっと見つめたり、伏せのような姿勢でリラックスして耳を傾けたり、終始穏やかな表情で、まるで物語の世界に引き込まれているかのようだった。
周りにいた子どもたちも、スーの様子を見て落ち着きを見せる。
活気に溢れていた会場の空気が、絵本を読む参加者とそれを聞くスーを中心に、穏やかで緩やかなものに変わっていた。

青木さんが「犬」をパートナーに選んだ理由はこちら

無条件に「受け入れられる」体験

実際に、スーと共に時間を過ごす子どもたちを見ていて気付いたことがある。
初参加の子にとっても、リピーターの子にとっても、そして運営側を体験している子にとっても、スーの存在は子どもたちにとって特別な意味を持っているのだ。

テントの中に集まる犬と子どもたち
参加者が連れてきたゴールデンレトリバーも途中参加。

今回、このイベントに参加された方々にお話を伺った。
参加の背景も目的もそれぞれ違うものの、みなさんから共通して出てきたのは「受け入れる」という言葉
この読書犬イベントは、単なる犬との触れ合いの場ではなく、「自分を無条件に受け入れてくれる存在との出会いの場」として、子どもたちの心に安らぎと癒しを与えている。
その結果、「いつもの自分から一歩踏み出すこと」と「ありのままの自分をさらけ出すこと」を経験できる貴重な場になっているのではないだろうか。

【参加者インタビュー】初めて聞く、命の音

最初にお話を伺ったのは、6歳の息子さんと参加したKさん。
イベントの第一回開催から参加している、“リピーター”だ。

——初めてイベントに参加したのは? 

「イベントの初回が開催された2022年です。まだイベント自体、手探り状態の頃ですね。息子はまだ保育園に通っていました」

——当時、息子さんは犬と触れ合った経験はあったんですか?

「近所で犬を飼っている人がいたので、ちょっとだけ触った経験がある、ぐらいでした。最初は聴診器でスーの心臓の音を聞くところから始まったんです」

——その時の息子さんの反応は覚えていますか。

「『何か聞こえる〜!』って(笑)。心臓の音なんて聞いたこともないですし、そもそも『心臓ってなに?』状態でした。『これが人の体にも、あなたの体にもあるんだよ』と伝えて、それから絵本を読んであげた記憶がありますね」

犬の聴診器を当てようとする子ども
Kさんの息子さんが初めて参加した際の一枚。

——継続的に参加されていて、何か変化は感じますか?

「とにかく優しいです。小さな子って自分の意見や世界を他人に押し付けてくるのが当たり前だと思うのですが、自分だけのペースで人には接しないですし、『いやだ』と言われたら『そっか』と引けるというか、相手を受け入れることを学んでいるのかなと。同年齢の子よりは考え方が広いのかなと思います」

——下に妹さんがいらっしゃいますが、兄妹間での関わり方は。

「妹はまだ2歳なので、ギャーってなると絶対手が出るんです。でもお兄ちゃんは、本気でやり返さないし、『まだ小さいからしょうがないよね』と笑っている場面が増えました」

【参加者インタビュー】セラピー犬と読書犬の共通点

広島から参加したSさんと、村外から参加したMさん。
現在、犬と関わる仕事をしているという。

——今回このイベントに参加したきっかけは?

Sさん「青木さんの活動は以前から知っていたのですが、ホームページで読書犬イベントをやっていることを知って。ぜひ見学したいなと思って来ました」

Mさん「Sさんから声をかけてもらって、一緒に来ました」

——普段は犬と触れ合う機会はありますか。

Sさん「犬を飼っていて、ゴールデンレトリバーと雑種を飼っています」

Mさん「私もコーイケルホンディエっていう犬を飼っていて、普段は福祉施設でセラピー犬の仕事をしています」

——犬と過ごすことでしか得られない感情や出来事は?

Sさん「人との関わりが生まれやすいな、とよく思います。犬を介して話題が広がるパターンも多いです。それから、『犬とただ遊んでいるだけで楽しい』『帰って犬がいるだけでうれしい』っていう穏やかな気持ちになりますね」

女性とゴールデンレトリバーがグータッチ
Sさんとスー。

——福祉施設では、利用者と犬はどのように関わっているのでしょうか。

Mさん「認知症の方や、体が動かしづらい方を対象に、セラピー犬との触れ合いやリハビリのサポートに犬が入るという活動をしています。もともと犬が好きな方は、普段よりも積極的にリハビリに取り組むようになります。犬と一緒ならできるという達成感が得られて、できないことを一緒に乗り越える仲間ができるのがセラピー犬の一番の魅力ですね」

——福祉施設での活動と今日のイベント、何か共通点はありましたか?

Mさん「施設でも、犬に求めることはその人によってさまざまで、一緒に何か体を動かすのが楽しいって人と、抱っこしたりなでたりしてゆったり癒される人がいます。今日のイベントでも、参加者が犬と関わろうとするスタイルは参加者によってそれぞれ。でも、スーちゃんは参加者の姿勢に合わせていたというか、参加者一人ひとりをそのまま受け入れていたのが印象的でした」

【参加者インタビュー】特別な日に、犬との触れ合いをプレゼント

3人のお子さんを連れて参加されたご夫婦は、お子さんの希望でこのイベントに訪れた。

——このイベントに参加するのは何回目ですか?

「今日初めて来ました。ワンちゃんと触れ合うことができるって聞いて」

——犬お好きなんですね。

「主人が小さい頃にラブラドルレトリバーを飼っていて、思春期の頃とか犬の存在に助けられたってよく話しているんです。私も保護犬を飼っていた経験もあるし。子どもたちも犬飼いたいって言っているんですけど、ちょっと難しくって…」

——飼うのに躊躇している理由を教えていただけますか。

「子どもたちの肌が敏感っていう部分です。アレルギーではないので、皮膚科の先生にも相談しましたが、『ちょっと厳しいだろうから飼わない方がいい』って言われてしまって。でも犬には会いたいからペットショップに行ってガラス越しに眺めるんですけど、そんな頻繁にも行けないですし(笑)」

——今日は息子さんのお誕生日だそうですね。

「そうなんです。『お誕生日、どこ行きたい?』って聞いたら、ここに来たいって。ワンちゃんと触れ合う機会って飼ってないとなかなかないので、本当に素敵な時間でした」

——お子さんたちの反応は?

「最初はどうやって関わればいいのか戸惑っていたようですが、スーちゃんがとても優しくて、息子たちを受け入れてくれたので、思っていた以上に早く慣れていました。長男はスーちゃんをなでたり、散歩したりできたのがすごくうれしそうでした」

ゴールデンレトリバーと散歩する子どもたち
参加者みんなでスーの散歩タイム。最初は緊張気味だった子も、数歩歩けば自然に笑顔がこぼれる。

——スーに抱きついていた息子さんの笑顔がとても印象的です。

「我が家だけじゃなくて、犬を飼いたくても飼えない家庭ってたくさんあるので、こういったイベントは本当にありがたいです。子どもたちにとっても大切な思い出になると思います」

男の子がゴールデンレトリバーに抱きついて安らかに微笑んでいる
「ここに来たい」と願った9歳の誕生日。この笑顔がとても印象的だった。

読書犬イベントが映す、子どもと社会の未来

読書犬イベントを取材して感じたのは、このイベントが持つ多面的な価値だった。
子どもたちにとっては、間違いを指摘せずただ聞いてくれる犬に向かって絵本を読むことで、「間違っても、うまくできなくても、これでいいんだ」と自己肯定感が向上する。
学校などでの居場所を見つけにくい子どもたちが、犬と過ごす時間を通じて居場所を見つけ、誰もが分け隔てなく同じ体験を共有できるのは、教育における大きな価値だろう。
Kさんの息子さんのように、継続的な参加を通じて優しさや思いやりといった心の成長も見られる。
Mさんのようにセラピー犬の活動に関わる専門家にとっても、新しい取り組みを学び、そして犬との触れ合いのメリットを再確認する場となっており、動物介在活動の可能性を広げる機会にもなっている。
一方で、犬を飼いたくてもさまざまな事情で飼えない人にとっては、貴重な触れ合いの場となっている。
住宅事情やアレルギーの問題、衛生面など、現代の家庭が抱える制約の中で、こうしたイベントの存在意義は大きい。
読書犬イベントは、自己肯定感の向上と挑戦心の育成、動物愛護、子どもの情操教育という複数の要素が自然に組み合わさった、現代社会にとって価値ある取り組みといえるだろう。
スーは、終始穏やかに子どもたちの声に耳を傾けていた。
参加者のありのままを受け入れるスーもまた、ありのまま。

ゴールデンレトリバーが口を開けている
子どもたちと過ごした一日の終わり。スーもまた、この居場所の一員だ。

西粟倉村という小さな村で行われているこの活動が、より多くの地域に広がっていくことを期待したい。

 この記事の監修者

吉田萌 (NPO法人ドッグトレーナー2級)

国際動物専門学校 しつけ・トレーニング学科卒。
噛み・吠え癖の酷い元保護犬のビーグルを里親に迎えた事をきっかけに『褒めてしつける』を念頭に活動。 自身の経験を活かし、しつけイベントにて飼い主に寄り添ったトレーニング方法を指導。 ナチュラルペットフード・栄養学の知識にも精通。保有資格はNPO法人ドッグトレーナー2級の他に、しつけアドバイザー2級、愛玩動物飼養管理士、ドッググルーマー2級など。

資格
NPO法人ドッグトレーナー2級、しつけアドバイザー2級、愛玩動物飼養管理士、ドッググルーマー2級

この記事を書いた人

本間ユミノ

新潟県出身。2児の母。食べることと寝ること、読書が好き。動かないことも動くことも好き。モットーは「夜を乗りこなす」
第49期 宣伝会議 編集・ライター講座修了。
小学生の頃に読んだ、漫画『動物のお医者さん』に出てくるチョビ(主人公が飼っているシベリアン・ハスキー)の可愛さに虜になる。以来、好きな犬種はシベリアン・ハスキー。

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